二畳半生活

ぼんやりとした概念を具体化する作業途中です

話すことによる保存はあるのか

 最近、学校の課題関係で普段会話することのない年代や職種・経験保持者の人と会話をしたり、話を聞くことが多い。思い返せれば小学校のときの校外学習だったり職業紹介ででもそんな経験があった気がするが、その頃はまだその経験の持つ意味を理解するにはあまりにも未熟だったので、適当に暇だなぁと思いながら足元の土をいじったり、友達と喋ったりしていた気がする。今思うともったいないなの一言だが過ぎたものは仕方ない。

 小学校のころと言わず、私は今でも人と喋ることは決して得意とは言えず週に1回は引きこもりたいと思ってしまうことは多々あるし、1時間運動するより、1時間人と会話する方がある意味疲れると思っている人間である。たいへん傲慢ながら本やネットによる文字資料からの知識吸収だけで十分だと思っていた時期さえあった。だけど、それでは足りないのだ。いくら辛くても、会話しなければ、せめて人から話を上手く聞かなければわからないことが多数、世の中にあるのだということを久しぶりに実感した。その反省をこめて今日思ったことを書こうと思う。

 『それでも町は廻っている』という漫画がある。女子高生探偵志望のメイド喫茶?でバイトする女の子、嵐山歩鳥が商店街や学校を中心に過ごす日常を描いた話である。基本1話完結の短編が集まったたいへん面白い漫画なのだが、その中の4巻の最初の2話に歩鳥が友人たちと夏休みにG県(おそらく群馬県)に旅行に行く話がある。少々ネタバレが入ってしまうのだが、歩鳥たちが行く村は過疎がすすんでいる小さな村という設定である。以前この漫画を読んだときはそんな村の設定よりも歩鳥たちの旅行の行方や表情を楽しみながら読んでいた記憶がある。

 そして今日久しぶりに『それ町』の4巻の話を2回目に読んだ。その時なんだか違和感を感じたのだ。これまでほとんど意識していなかった村の様子の描写がひっかかる。なぜこんなにひっかかるのだろうと思い、考えてみた結果思い当ったのが、群馬県に旅行に行ったことである。やけに村や村の住民の様子が旅行先、群馬県の赤岩の様子にかぶって村の人に共感がすすむのである。もちろん最初に漫画を読んだ時も過疎集落のことは知識として知っていたし、群馬県の他の村にも温泉目当てに何度か行ったことがあったのでなぜ、2回目だけこの共感が起こったのかしばらく考えてみた。

 その結果、この群馬県旅行の他の旅行との相違点は現地の人からお話を聞いたことである。お話と言っても過疎の行き先を心配する悲惨な話よりも、養蚕の歴史だとか村での生活の歴史を滔々と語ってくれた。こちらも感情移入というよりはそういうものもあるのかというようなさっぱりした受け止め方をしたのだが、それでも、この話を聞くという経験は知識以上のものを受け手にあたえるのだと思う。これまで先生方が口を酸っぱくして言ってきた、実物をみないと分からないよという言葉や、最近も流行っている聖地巡礼も、舞台に入り込みたいという気分以外に、経験しないと手に入れられない感覚をもとめるからなのかもしれない。そして実際に行ったからには、飲食のおばちゃんとでも誰か現地の人と会話をした方が良いのだ。もちろん良い話を聞くためには、事前にある程度の準備やうまく聞く技術も必要だから一筋縄ではいかないのだが。

 私の文章力のなさなのか、表現媒体に文字を使っているからなのかあまり、文字では伝わらない感覚が伝わっていないので、また気が向いたら書き直すのだが、最後に1つ今回旅行に行った村の紹介をして終わろうと思う。

今回の旅行先は群馬県吾妻郡中之条町にある赤岩という集落である。昔は養蚕集落だったようで、今も蚕のために2階も広くとった家の形にその名残が残っている。重伝建自体圧倒的に知名度が低い気もするのだが、重伝建地区にも指定されている。電車だと長野原草津口からタクシーで20分程度のところにある盆地である。徒歩だと1時間強?村のメインストリートは歩いて10分くらいで端から端まで行ける広さである。詳しくはウィキペディアに書いてある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%A9_%28%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%29

赤岩に行った感想としては、過疎集落と聞いただけで絶望的な印象を抱いてしまう先入観にとらわれるべきではなく、ここは緑は綺麗で村の人たちも元気でこじんまりとした良いところだなあという月並みな印象だった。村から少し離れたところに川も流れており、旅館はないけれど村の様子が『それ町』のといくつかかぶるところもあるので、気になるひとはぜひ行ってみてください。

 

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重伝建地区:赤岩の写真